›May 01, 2004

2004.5.1 (土)

Posted by とーる at 11:00 PM / カテゴリー: 2004年 / /

昨日、あるいはおとといか、親父が半袖になっていた。多分風呂上がりだったかと思う。
久しぶりに見た親父の二の腕は、木の枝のように細かった。
子供の頃は良く力こぶを見せてくれた腕だった。どうしても腕相撲で勝てない腕だった。
いつの間にこんなに細くなったんだろう。ショックだった。

どうやら自費出版で本を残すことになったようだ。以前から月刊誌に執筆していた内容も含めるようで、そのコピーを読ませてもらっている。息子だからという「贔屓目(ひいきめ)」もあるのかも知れないが、とても面白い。というか、こんなの書いてたの今まで知らなかったぞ。
生まれた時から海外で育った自分と違って、親父もお袋もイタリア在住初期はかなり苦労をしてたんだね。親父も長い人生の間、数々の友人の死を経験してきていたんだね。
その人達のためにも、いや自分のためだけで良いから、書いて残していって欲しいと思う。
親父がいて、親父と共に同じ時代を生きた人達がいる。
自分は親父としてだけではなく、先人としてあなたたちの生きた時代を知りたいと思う。
その足跡があって、今があるのだから。

›May 10, 2004

2004.5.10 (月)

Posted by とーる at 11:00 PM / カテゴリー: 2004年 / /

もう開腹手術の傷は全く治ってきたみたいだが、やはりお腹が「ひっぱられる」のか「つっぱる」のか、相変わらず猫背だ。こういう場合、手術前の体力にはなかなか戻らないそうで、疲れやすいようだ。それでも毎日、出かけて歩くようにしている。
最近気になるのは、食事の量がかなり減ってる気がする。食べられなくなって来ているのだろうか。
つい2〜3ヶ月前でも一般成人男性の半分程度だっただろうか。(元々胃がほとんどないのだから、そんなに食べられないが)それがここ2〜3日はおかゆのような柔らかい食事を少し。ゆっくりと食べている。ゆっくり食べるようにしているのだろう。
あさってで手術から1ヶ月か。

›May 19, 2004

2004.5.19 (水)

Posted by とーる at 11:00 PM / カテゴリー: 2004年 / /

飲んでいる薬のせいなのか、ガンの進行のせいか、親父は先週から嘔吐を繰り返している。見ていてつらそうだ。
でも、心配させたくないのか常にコップの中に静かに戻し、洗面所に流し、うがいしている。
オレはなるべく気付かないフリをしている。それが良いのか分からないのだが。
食事はここ1ヶ月ほどは「お粥」がメインである。消化が悪くなっているのか「ヘビー」なものは食べたいと思わないようだ。それでも食後間もなく戻してしまうので、痩せる一方だ。
昨日はユニクロにシャツとズボンを買いに行ったようだ。ズボンはゆるく、シャツはダボダボになってしまっていた。
退院後はホスピスを紹介してもらい、週に1回ほど来てもらっている。
6月末には、2番目の姉夫婦がアメリカからやってくる(オレには姉が二人いる)。手術直後に、親父の承諾無くお袋が連絡していたので、親父の状況は伝わっていた。

親父は今日は30册ほどもあるパスポートを引っぱりだし、どこにいつ行ったかという詳しい「渡航期間」を調べていた。親父は海外生活が長い。おかげでオレも海外生活が長い。というか、日本で生まれていない。
最近は時間がもったいないのだろう。親父は夜遅くまで起きている。もしや良く眠れないのかも知れない。
親父は野球が大好きだ。
今日はメジャーリーグではダイヤモンド・バックスのランディ・ジョンソンが「完全試合」を達成したそうだ。史上17人目、40才での達成は最年長、21世紀では初めてだそうだ。
実は今日は、孫にあげていた観戦チケット「神宮球場 ヤクルト-阪神戦」の日だったのだが、関東地方は(全国的に)朝からの雨で中止になってしまった。雨天中止のチケットはまた後日見に行けるので、そのことを自分から孫に電話していた。
孫は少年野球のピッチャーをしているのだ。

›May 21, 2004

2004.5.21 (金)

Posted by とーる at 11:00 PM / カテゴリー: 2004年 / /

昨日は泊まり込みで、友達の方々と出版物の相談をしていた模様。
しかし今日は何も食べていない。牛乳を飲んでいたが、戻してしまっていたようだ。戻してしまう状態では食欲などないだろう。昨日は疲れただろうし、今日も書類を作っていた。今は眠っている。
でもこれでは痩せる一方だよ。
親父が見る見る痩せていくのをどうにも出来ないのは、無力感ばかりが支配してたまらん。
つらい。
一番つらいのは親父だけどなぁ。
つらいのに、心配をかけないように静かに便所に行って戻している。こっちが心配すると余計落ち着かないのだろう、逆にそれを気にしている。誰でも監視されてたら落ち着かないよな。
だからバレバレだけど、気付かないフリをするよ。それもつらくてちょっと泣けるけどね。
そういえば、バルセロナには行けないなぁ、親父。
ああ今日は無性にこみ上げてくるね。
ちょっと出かけてくるとしよう。

›May 24, 2004

2004.5.24 (月)

Posted by とーる at 11:00 PM / カテゴリー: 2004年 / /

基本的に食事は牛乳だけになった。飲むと言うより、常にちびちびと流し込んでいる。
今日はどなたかに頂いた何とか豆腐を少し食べた。固形物はもう1週間ほど食べていないか。
土曜日にはあまりの嘔吐に、薬が変わった。痛み止めが、今までのものと違ってより強くなったようだ。

心配していた嘔吐だが、少しは少なくなっている模様。ただし影でしているかも知れない。
少しずつだが牛乳を摂取しているせいか、便通(医者によれば、これがとても重要とのこと)は、まああるようだ。
日に日に体力は衰えている。10分ほど外で歩いていると辛くなってくるようだ。腰のあたりがチクチク痛いと言う。すぐ座れる場所を探す。場所によっては驚くほど座れる場所がないことに気付かされる。老人や病人には優しくない場所も多い。
出かけるといっても、せいぜい錦糸町(もよりのJR)まで。それでも親父は一日に一回は出かけるようにしている。自分でも体力の低下を気にしている。遠出をしないのは上のように、疲れたりした時に困るせいである。考えているのである。

明日はT叔母さんの展覧会がある。本来親父が行く予定だったのだが、いける状況ではないので、代理でオレが行く事になった。そして自費出版本の原稿をお渡しする。表紙の絵を描いて頂くそうなので、おおまかにでも読んでもらいたいとの事。展覧会も楽しみだ。親父が写真を撮ってきて欲しいと言う。見たかっただろうし、1冊にまとめた本があると良いのだが。
今日は介護保険の申請をした。あさってはとうとう「医療用ベッド」がやってくる。あまり愉快な気持ちではない。
本来は良い事なのだが、ベッドも何種類もから選べるようで、親父は少し不機嫌だった。説明が長かったのもあるだろうし、それ以上に、自分がそのうち寝たきりになるであろうベッドを選ぶのは、自分の入る棺(ひつぎ)を選ぶような気持ちだと思う。
親父が欲しがった「寝ながら(横になりながら)本を読めるスタンド」は介護保険では適用にならないらしい。ちょっと探してみようと思う。無かったらオレが作ってみようと思っている。それほど難しくはないと思うし。美しくは出来ないだろうけどね、時間かけてる場合じゃ無いし。

5/29追記:見つけたブックスタンドをいくつか見せたが「好み」にうるさいので、はなから自作は辞めることにした。(笑)しかも実際の用途は、本だけでなく色々な書類(送別関連の)を広げたりするので、今の所、介護用のベッドテーブルがベストの模様。

›May 27, 2004

2004.5.27 (木)

Posted by とーる at 11:00 PM / カテゴリー: 2004年 / /

今日は友人であられるOさん、Nさん、T叔母さんがいらした。出かけていたので分からないがかなり疲れた様子。そして変わらず嘔吐は続いている。今日はかなり具合が悪い。牛乳と最近好物のシャーベットを食べたが、全部と思われるほど戻ってしまった。
しかし辛いであろうに、目立たぬように戻し、目立たぬように後始末をしていた。親父はまだまだそういう世話はかけたくないのである。

昨日の昼は、お袋が作ったミネストローネ(我が家では「ズッパ・ディ・ベルドゥーラ」とイタリア式に呼ばれている)をおちょこ一杯ほど食べた。いつ以来の食事だろう。おいしく食べていたが、少しして戻してしまった。
そして午後には介護用のベッドが届いた。高さ調節、上半身上下、膝上下が出来る本格的な医療用ベッドだ。寝室ではなく、テレビが見れるよう居間に備えられた。しかしいずれここに寝たきりになる事が分かっているので、昨日の夜は親父は「いつもの」寝室で寝ていた。

最後に外出したのはいつだろう。月曜かな。おそらく近々車椅子が必要になるだろう。
来週6/3は千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」を見に行く予定。親父はもう車椅子で見て回るつもりでいたが、調べてみたら無料で車椅子を貸してくれるそうだ。
まだ元気だった先日でさえ10分ほど歩いていたら、体力が尽きてしまった。新しくFaxを買いに行った日だった。ちなみに今はFaxは感熱紙ではなく普通紙に印刷されることを初めて知った。ホント技術革新が速いな。

思えばここ2年、毎年身内が逝ってるんだなぁ。おととしは祖父、昨年が祖母。思えばここ最近毎年喪中だ。
親父は今年逝ってしまうつもりのようだ。(親父の大好きな野球、今年のシーズンは最後まで見届けられない覚悟だと言っていた)今の調子だと否定しづらい。オレが見ているだけでも(見て見ぬふりをしているだけでも)ほぼ全て口から出てしまっているように見える。親父の推測は結構当たるから、この場合ちょっと困る。
まぁ以前から親父は「いくら長生きできたとしても、体が元気で頭脳がいかれてしまった状態(重度の痴呆など)ではどうしようもない。よれよれで生きているより、迷惑をかけずに死にたい」としきりに言っていた。
お袋も数年前からずっと介護しっぱなしで、お婆ちゃん亡くなってしまったけど、ようやく介護から解放されたのに、またこんな事で、色んな意味で辛すぎるよなぁ。自分ももう立派に72才のお婆さんだと言うのに。
オレも出来る限り努力するよ、母さん。

2004.6.13(日)追記:祖父はおととしではなく3年前(2001年)に、亡くなりました。ボクの勘違いでした。よって昨年2003年の正月は喪中ではありませんでした。

›May 29, 2004

2004.5.29 (土)

Posted by とーる at 11:00 PM / カテゴリー: 2004年 / /

今日は牛乳も飲めなくなった。かき氷を少々食べたようだが、立ち上がるのも辛そうだ。最後の栄養源の牛乳も入っていないのでは体力の低下も激しい。何だか意識も少し朦朧(もうろう)としているようだ。昨日までとはまるで違う。上から飲食物が入っていかないのだから下からも出て来ない。トイレに行くことなどめったに無い。飲み薬(痛み止め)がダメなので、座薬を入れに行くぐらいか。

昨日は来客があった。茨城の叔母がいらした。大変有難いのだが、日に日に体力が減り続けている親父にとって「お見舞い」はもう嬉しいことではない。しかも突然いらしては尚更。自宅であろうと、来客があるだけで相当消耗する。昨日はちょっと参った。親父もぐったりしていた。
本日も違う方が来たいと言ってくれたが、さすがに断ったようだ。
家族としてもお気持ちは本当に有難いのだが、お見舞いに来てくださるのは微妙な所だ。
自分も今まで深く考えたことが無かったが、相手(病人なり怪我人)そして家族の気持ちを大切にしなければと感じる。
病気であれケガであれ、治る見込みがあり、かつ回復途上、あるいはほぼ回復しているのに病院にいる場合はおそらく良いでしょう。健康な人にとっては入院はヒマだ。そして家族や友人がいないことは淋しいだろう。
来てくださるのが、あと2週間、いや1週間前だったらまだ体力もあり、親父も嬉しかったかも知れない。

親父は、衰え、痩せ細っていくみじめな自分を人に見てもらいたく無いのだ。
「葬式」ではなく「お別れ会」と称して式を省きたいのは、家族にも友人の皆さんにもあまり悲しんで欲しくないのだと思う。
本当は今オレが書いてるこんな手記だって書いて欲しくないかも知れない。でもオレは書くよ。これは自分の手記でもあるし。

色々な方が一目お会いしたいと言ってくださるのは嬉しいことだが、もうほぼ全ての面会をお断りをせざるを得ない。
安らかにさせてあげてくださいとお願いするばかり。
この先、電話も制限させていただく時期が近いと思う。おとといぐらいまでは電話は平気だったが、今日は電話もつらそうだ。意識がはっきりしないのだから当然か。

半年ほど前に、両親共に耳が少し遠くなってきたので、玄関のインターホンの音を少し大きくしたのだった。それを今日は音量を大幅に下げた。
親父はちょっとした音でビックリするようになってきている。テレビの音もうるさいようで今日はかなり下げてある。

親父は愛煙家だ。今は食事もしないので、余計口淋しいだろう。今も吸っている。
ただ昨日あたりから、うとうとしていることが多くなっているので、ちょっと危ない。オレかお袋がいるから良いが、火事はゴメンだ。

ちなみに家族としては、死期が毎日近付いてきている親父と一緒にいると、本当に悲しくなってくる時がある。気が滅入り過ぎる時がある。1日中一緒にいるお袋は尚更だと思う。
出かけて家に帰ってくる度に状態が必ず悪化している。本当に刻一刻と。
一緒にいたくないとかそんなじゃない。なるべく一緒にいたい。
でも、家族も息抜きが必要なんだなと痛感する。
お袋は今でも、毎日夕方には買い物に出かけて、色々見てきている。お袋なりに息抜きをしているのだと思う。オレもどうしても泣けてくる時は出かけてる。時には二人とも違う部屋に行って鼻をかむ。親父には見せないようにね。
そしてお互いそっとしておいてあげるのがマナーかな。(笑)
だからオレが自分の部屋で鼻かんでる時に「ヨーグルト食べるかい?」とか声かけるのやめてくれ、お袋。(笑)頼むからほっとけ。(笑)

おそらく親父も本当は一人の時間が欲しいに違いないと思う。

ニューヨークにいる姉夫婦は親父の病状を知り、当初6月末来日だった予定を更に早めて6/15に東京に来る事になった。6月末でもかなり頑張って早く来る日程だった。何せ子供4人の総勢6人の家族なので色々大変だと思う。学校もあるし。
早く姉夫婦と孫に会えるといいなぁ、親父。
頑張らなくても良いからさ。早く会えると良いなぁ。(親父は今「頑張れ」と言われるのを何よりも嫌っている。治る、治す可能性すらない状態では頑張りようがないわな。)

19時過ぎ、少し牛乳を飲み、豆腐をひとかけら食べた。塩分の補給も足りていないだろう。醤油も最近好物だ。おいしい、おいしいとなめていた。胃ガンのくそったれ、少しは消化して、腸まで食物を通しやがれ。
23時、ちょっと戻ってしまった模様。珍しく食物が腹の中で納まったかと思っていたが残念。
でもすっきりしているようだ。ちびちび牛乳をやっている。遠目に見ると酒をちびちびやっているように見える。

2月に、体調が悪いとは言え自分で歩いて救急車に乗り、その後も少ないながらも外食する事も出来たのに、わずか3ヶ月でここまで人体を蝕むこの脅威。巨大化した癌のスピードは恐るべし。
先日ニュースか何かで「癌細胞は1mmから2mmのサイズに成長するのに10年、1cmから2cmに成長するのに1年ほど?(かなり記憶が怪しい)」とか言っていたので、ググってみた。
国立がんセンターは見つかったが、前述のような具体的ながん進行のスピードについては書いていなかった。まぁ個人差も相当あることだとは思う。
「はじめは30〜60ミクロンの大きさから出発し、年単位の時間がかかって5mm程度の大きさになるころから発見可能になります。」とのこと。
オレも年に1回は定期検診を受けるようにします、ハイ。もう健康診断など十数年してないなぁ…。

他にも色々と興味深い事が書いてあった。

◆日本人の死因のトップは「がん」。
現在は男性については「肺がん」がトップだが、男女とも長い間「胃がん」がトップだった。女性は今でも「胃がん」がトップ。
◆アメリカも20世紀初頭は「胃がん」がトップだった。
しかし次第に減少し、今では珍しいガンになった。
◆日本も現在では「胃がん」は減少傾向にある。
◆アメリカでは冷蔵庫の普及と共に減少しており、食糧の保存方法が変わってきたため減少してきているとの見方が強い。
◆「胃がん」は「塩分」と関係が深いようだ。
冷蔵庫普及以前は「塩漬け保存」が多く、塩分の摂取量が多かった。それが冷蔵庫の普及により「塩漬け」が減ってきた事が胃がん減少と関係があると見られている。
日本では冷蔵庫が普及しても、漬け物などの「塩辛い」食習慣から、あまり「胃がん」の減少が速くないと言う事か?

なるほど。
理由や原因は特定出来ないが、親父はまぎれもない胃がんである。
余談だが、オレもやはり「胃がん」が自分への一番の刺客だと思っている。事故とは抜きで。
親父のお袋さんが胃がんで73才で亡くなり(親父も現在73才)、親父もこれで2回目であり、T叔母さんも一度手術されているそうで、他にも兄弟の方はなってる人がいたように聞いている。これは胃がんになりやすい「家系」だと考えて当然でしょう。

今日親父が書いていた言葉を思い出した。
『世の中には色々な病気があって、全てに注意するのは不可能だし意味がない。他にも事故にあって死亡する事もある。この歳だから色々な覚悟はしていたつもりだ。それでも「もう1回胃がんになる」というのは不意をつかれた感じだ。まさしく「やられた」。』

›May 30, 2004

2004.5.30 (日)

Posted by とーる at 11:00 PM / カテゴリー: 2004年 / /

本日は伯母にあたるハマさんとそのご主人にお会いした。沖縄にお住まいで、今日上京された。親父は9人兄弟だそうだが、親父方の御兄弟は定期的に「いとこ会」という親戚の会合が開かれている。オレは一度も言った事はないし、息子、娘の代で出席されている人がいるのかも不明。
今日は親父のピンチヒッター(死語?)ということで、お袋と共にお会いしてきた。
このご夫婦は敬けんなクリスチャンでおられ、ご主人は会社を退職後、神父になられたお方だった。ご一緒に夕食を食べたのだが、食事の前にお祈りをされていた。
親父の事を心配してくださっていたが、親父からはお茶を濁すように言われていた。明日「いとこ会」があるのだが、その場が一転して祈りの場になってしまう事を親父は避けたいのだ。せっかくの再会の場が楽しくなくなってしまうのがイヤなのだ。
手術をした事はご存知なので、その後リハビリをしている事になっている。
まぁオレは初めてきちんとお会いした所で、お袋がほとんど話していた。それでもお袋も親しいわけではないので、昔話に花が咲いて良かった。沖縄はとっくに梅雨入りしているそうだ。

親父は今日は少しは具合が良いようだ。意識もはっきりしている。iBookに向かって作業をしては、疲れてくると眠っている。

最近は親父は「しゃっくり」が良く出る。この「しゃっくり」が嘔吐の信号なのだ。かなり激しいしゃっくりで大きな音が出ている。そこまで飲食物が拒絶されている。
昨日から東京も暑い。こないだまでの春〜初夏を思わせる快適な気温と変わって、夜でもベタベタする完全な夏の気候になっている。昨日あたりから口にするものはシャーベットのみになり、今日も暑いのでシャーベットを良く食べていた。しかし丸ごと一つ食べてしまうと確実に戻ってしまうようだ。夜に戻してしまった。まぁ戻した後はケロッとしていた。

苦しみや痛みさえ少なければ、死への時間が少し許されている親父の状況はラッキーなのだと思う。言い残す事、書き残す事が少しは出来る。「身辺整理」も少しは出来る。
ただ一方では公表する事の影響も考えなくてはいけないのだなぁ。
治る見込みのなくなってしまった末期ガンの方々は皆、そう考えられて、亡くなるまで公表しないのかも知れない。いかりや長介さんもそのようにされたのかなと思う。