›July 09, 2004

『お先に失礼』

Posted by とーる at 07:07 AM / カテゴリー: 残した言葉 / /

これは2004年5月29日に故渡辺桂がFax、そしてメールにて友人の方々にお送りした文章です。
「春の岬」に添える手紙として妻文子の言葉を付け加えてあります。

 以下の文書『お先に失礼』は渡辺 桂が5月29日付で、彼の病気を心配するごく親しい、遠慮のいらない友人の皆さま方へ宛て、自分の病気のことや心境等を申し述べた手紙でございます。お読み下さる皆々様にはこのことを含みいただいてご一読下さるようお願いいたします。
妻 渡辺 文子

『お先に失礼』
   ー皆さんにご挨拶ー

2004. 5. 29
渡 辺  桂

 "A willow tells me・・・(柳が言いました)" というエレガントな表現が英語にあります。日本語でいえば、ちょっと味気ない感じになりますが、「仄聞するところでは・・・」、あるいは「世間の噂では・・・」というのでしょうか(実際に英米人が私と同じような感じ方をするのかどうかは調査不足に終わりました)。

 さて、私の胃ガンも、うすうす皆さんの耳に届いているのではないかと思います。初めに断っておきますが、再発ではありません。新生第2胃ガンです。 私の家系には、愛煙家が顔を並べているくせに肺ガンは一人もいません。多分遺伝子、あるいは例のピロリ菌のせいか、胃ガンは結構います。
 体調不順に気がついたのは2月半ばでした。食欲不振だなと思っていたところ、ある晩いやな吐き気と背痛を感じだし、10時頃になって、このまま明日の朝まで我慢するのはたまらんなと、救急車を呼びました。実は救急車のお世話になったのはこれが初めてで、「あと残るのは霊柩車だけだ」と家内に冗談を言いました。自分でも大げさかなと思ったのですが、以前腸閉塞になったとき緊急外来へタクシーで行ったら、大分待たされた挙げ句に、何故もっと早く来なかったのですかといわれ、ガックリした経験があったからです。マンションの玄関までおりて待っていたら、案の定「歩けるんですか」と驚いたようにいわれ、後ろめたい感じで墨東病院に着きました。さすがに今度は早く診て貰え、とりあえずその晩は簡単な検査のあと、痛み止めをもらって帰りました。
  「あっ胃ガンだ」と気がついたのは、翌日から精密検査を数回やり、胃カメラを飲み、管を飲んだままモニターを上目遣いで覗いていたときでした。かなり大きな腫瘍(シュヨウ)があるのがはっきり分かりました。医師に「このための吐き気と背中の痛みでしたか」というと、「多分その関連だと思います」との答えでした。
 正直なところこれには少なからず驚きました。なぜなら、14年前にガンで三分の二を切り取られて以来、みじめなようなサイズになった胃に再び癌ができるとはほとんど予想していなかったからです。今度できるなら肺か、大腸か、食道か、とにかく胃以外のところだろうと思いこんでいました。それなら驚きはしなかっただろうというのが実感でした。しかし、そういう思い込みには根拠がないことも事実で、できてしまってそれがかなり進行しているのを見ると、なるほどこういうケースもあったのだと変に納得しました。野球に例えると、以前簡単に三振で打ち取った打者を甘くみて、ど真ん中に直球を投げたら、みごとにホームランを打たれてしまった、とそんな感じでした。いや、まったくの話、逆転サヨナラホームランでした。ここで曵かれ者の小唄を歌えば、今でもあまり後悔はしていません。人生には優先ニーズがあり、その高いものに絞っていかなければ、病気に、あるいは人生そのものにも振り回されてしまいます。この場合私の能力を上回ったイガン君の長打力にシャッポを脱ぐばかりです。
 これで人生降板ときまったわけですが、今度のガンの受け取り方は前回とはだいぶ違います。14年前の前回は、いくら早期発見とはいえ、小生もまだ60才未満、仕事はし残したことが大分あるし、娘は二人ともまだ結婚していないし、息子は大学へ入るところだし、思いを残すことだらけでした。今度は違います。65才定年で辞める前に思いきったアプローチの仕事もできたし、娘たちはそれぞれ良い亭主を見つけ、孫も6人生まれたし、息子も(親父に似て)だいぶ青春彷徨しましたが、自分の進む道ははっきりと見つけたようだし、思い残すことはほとんどありません。
 今の日本人男性の平均寿命は77才だそうですが、その最後の5年間は何らかの看護・介護を受けている状態だそうです。そんなことになる前に元気な状態でぽっくり逝くのが理想だなと思っていましたから、もうすでにその年齢を過ぎているわけで、あまり文句はないということです。
 私は自分で「七割人間」だと思っています。大きな失敗もあったし、3割ぐらいは無駄でダメなこともしたけれども、まあどうにか七割ぐらいは良いことをしてきたんじゃないかという楽観的・主観的評価です。友人や家族から「オイ、甘過ぎるよ。6割じゃないの?」とか、「もっと悪いこともしてたんじゃないの?」と言われても怒ったり狼狽したりはしません。
 繰り返しになりますが、私個人は十分長い時間生きてきたと思っています。人間はいずれ100才未満ぐらいで誰でも死ぬのです。だから、死ぬことを恐れたり、いまさら生にしがみついたりはしません。もちろん死に急ぐなども考えません。開発途上国の僻地でいろいろな死に方を見てきました。ネパールの貧しい山村で従容と死を待つ老人、自分の勇気を試してライオンと戦い死ぬマサイの青年、あたかも周囲の大自然と一体化したような彼らの死に方を見ると、「先進国」の健康だとかグルメの話など薄っぺらに見えてきて仕方がありませんでした。
 私は痛いことはいやだし、堪(コラ)え性も良くありません。だから、痛くさえなければ割りと平生どおりの生活を続けて死んでいけるのではないかと考えます。それはちょっと甘い香りのする期待でもあります。因縁話めきますが、私の母も73才で胃ガンで亡くなっています。31年前のことですが、「お父さんは薄情だ。臨終近くなったら見舞いにも来なくなった」と姉たちに責められた父が、「あの痛がり様は可愛想で見ちゃいられなかったよ」と私に洩らしたことがありました。私は母のようにはなりたくありません。
 墨東病院の誠実な医師たちの勧めもあって、今は拙宅の近くの両国にある、在宅ホスピス専門クリニックにかかっています。これはガンの根治が望めない場合、ガンと共存し、症状緩和のためにのみガンを叩き、体の延命ではなく、人間としての延命を最大目標としています。これであと3ヶ月〜6ヶ月ぐらいでこの世にバイバイする予定(個人差はかなりあるそう)です。
 ひとつだけお願いがあります。それは「そっとしておいていただきたい」です。この際もう一度会っておきたいとか、昔話をしたいとかいうのは、失礼ながらそちらの希望であって、私の方は徐々に衰える体力でそこまでおつきあいすることは不可能になってきています。そういう希望にお答えすれば数十人になるかも知れません。いくら7割男でも身辺の整理にはある程度意志と体力が必要なので、これはいっさいお断りするしかありません。いま会っても、昔どおりの元気な顔をお見せするわけにはいきません。「死ぬ前にはかなり衰えていたよ」とか「骨と皮だったよ」などの印象を与えるよりは、昔のイメージを残しておきたいというのが私のささやかな虚栄心とご理解いただいて結構です。
 私は無宗教ですのでふつうの葬儀はいたしません。まず火葬してもらい、その後に「お別れ会」とか「偲ぶ会」とかいったものを小規模に催してはどうかと思っています。ご用とお急ぎがなくてご参加いただけたら幸甚です。ま、私にはどうでもいいようなことですが。
 墓も要らないと家人には言っています。理由は簡単明瞭で、皆が墓を作っていたら、あと数千年ぐらいで地球上は墓だらけになってしまうではないか、です。そのかわり私の好きだった場所(イタリア、ケニア、ネパールの某所、1〜3ケ所)へ散骨しに行くよう、これは遺言に書くつもりです。海外(慰安)旅行の「惹句」(justification)としてこれは最高だぞと家族に言っています。
 「お別れ会(仮称)」は莫逆の友に丸投げしていくつもりですから私に責任はありませんが、面白い趣向を(酒肴も)入れて会費をいただいてはどうかなどと考えています。私の駄文をまとめた本を一冊、参列お礼に差し上げるつもりでいます。この会について良いアイデアをお持ちの方、あるいは興行の才ありと自認される方はメールでご連絡ください。

 ではお先に失礼します。ちょっとお先にです。そのちょっとというのは意外に短いかも知れませんよ。「散る桜 残る桜も 散る桜」 今年の桜は病院を抜け出して、都内の見どころは全部見て回りました。とてもきれいで、今生の思い出になりました。