›May 27, 2004

2004.5.27 (木)

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今日は友人であられるOさん、Nさん、T叔母さんがいらした。出かけていたので分からないがかなり疲れた様子。そして変わらず嘔吐は続いている。今日はかなり具合が悪い。牛乳と最近好物のシャーベットを食べたが、全部と思われるほど戻ってしまった。
しかし辛いであろうに、目立たぬように戻し、目立たぬように後始末をしていた。親父はまだまだそういう世話はかけたくないのである。

昨日の昼は、お袋が作ったミネストローネ(我が家では「ズッパ・ディ・ベルドゥーラ」とイタリア式に呼ばれている)をおちょこ一杯ほど食べた。いつ以来の食事だろう。おいしく食べていたが、少しして戻してしまった。
そして午後には介護用のベッドが届いた。高さ調節、上半身上下、膝上下が出来る本格的な医療用ベッドだ。寝室ではなく、テレビが見れるよう居間に備えられた。しかしいずれここに寝たきりになる事が分かっているので、昨日の夜は親父は「いつもの」寝室で寝ていた。

最後に外出したのはいつだろう。月曜かな。おそらく近々車椅子が必要になるだろう。
来週6/3は千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」を見に行く予定。親父はもう車椅子で見て回るつもりでいたが、調べてみたら無料で車椅子を貸してくれるそうだ。
まだ元気だった先日でさえ10分ほど歩いていたら、体力が尽きてしまった。新しくFaxを買いに行った日だった。ちなみに今はFaxは感熱紙ではなく普通紙に印刷されることを初めて知った。ホント技術革新が速いな。

思えばここ2年、毎年身内が逝ってるんだなぁ。おととしは祖父、昨年が祖母。思えばここ最近毎年喪中だ。
親父は今年逝ってしまうつもりのようだ。(親父の大好きな野球、今年のシーズンは最後まで見届けられない覚悟だと言っていた)今の調子だと否定しづらい。オレが見ているだけでも(見て見ぬふりをしているだけでも)ほぼ全て口から出てしまっているように見える。親父の推測は結構当たるから、この場合ちょっと困る。
まぁ以前から親父は「いくら長生きできたとしても、体が元気で頭脳がいかれてしまった状態(重度の痴呆など)ではどうしようもない。よれよれで生きているより、迷惑をかけずに死にたい」としきりに言っていた。
お袋も数年前からずっと介護しっぱなしで、お婆ちゃん亡くなってしまったけど、ようやく介護から解放されたのに、またこんな事で、色んな意味で辛すぎるよなぁ。自分ももう立派に72才のお婆さんだと言うのに。
オレも出来る限り努力するよ、母さん。

2004.6.13(日)追記:祖父はおととしではなく3年前(2001年)に、亡くなりました。ボクの勘違いでした。よって昨年2003年の正月は喪中ではありませんでした。