昨年からめっきり老け込んだなと感じていましたが、先日(2004年2月)体調不良で救急車で病院に行った親父は、結果、胃ガンとの診断でした。
けして楽しい話題ではないので、読みとばしてもらって結構です。
ガン患者を家族に持った者の小さな記録として残したいと思いました。
親父の最後まで、書き綴っていくつもりです。
2004年3月1日
渡辺 透
1月ぐらいから体調が思わしくなかった親父が先日「診断結果はガンだった」と知らせてくれた。先週診察をしていた。何だか胃の調子が悪く、常に食欲も無く、気持ち悪いと言っていた。(多分告知はされてないが、親父は感が鋭い)
そうしたら胃癌だそうだ。今回で2回目だ。
最初に胃癌の手術をしたのは、14年前、1990年の事だった。オレはちょうど大学1年生が終わろうとしていた。確か湾岸戦争が起こってる頃だった。
当時の医療技術というのもあるのかも知れないが、あずき大のガンのために胃袋の2/3以上を失った。
今回はあずき大ではなく、もっと大きいらしい。転移を危惧してまた検査があるらしい。転移があったら手術はしないらしい。無理ということだ。
ただし、余命半年とかという事はないらしい。
いよいよ近付いてきているのかと、肝に銘じておこう。
今日、親父に自伝を書いてくれるよう執筆を依頼した。
以前から頼もうと思っていた事だったが、なかなか言い出せずにいた事だった。
だがもう残された時間が少ないと思うので、思いきって切り出してみた。
親父、お袋、そして祖父母が生きた時代を、なるべく知りたいと思っている。
現代とは全く違う、戦争と激動の時代を生きた人達である。
親父は快く引受けてくれた。
自分にとってだけでなく、大切な記録となると思う。
かたくなに断固戦争反対を唱える親父やお袋の気持ちも不肖ながら分かってあげられるのではないかと思う。
今はただ、残された時間で精一杯親孝行をしたいと思う。
自分は一体何をしてあげられたのだろう。悔しい。たとえ親孝行をしていても悔しいのかも知れない。
いかりや長介さんが亡くなった。ガンだったそうです。
知らなかったが親父と同い年だった。1931年生まれ。学年は一つ違うみたい。
親父は1月7日生まれ、長さんは11月1日生まれ。高倉健さんも1931年(昭和6年)生まれだそうだ。家に昔「わが世代・昭和六年生まれ」とかいう本があった気がする。
入院の日が決まったそうだ。3/26 (金)。来週中には手術をするらしい。
この日はとりあえず最後のライブの日。何だか妙に運命を感じるなぁ。
手術後5年生きる確率は50%とのこと。本人も家族も思ったより良い確率だった。