›May 29, 2004

2004.5.29 (土)

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今日は牛乳も飲めなくなった。かき氷を少々食べたようだが、立ち上がるのも辛そうだ。最後の栄養源の牛乳も入っていないのでは体力の低下も激しい。何だか意識も少し朦朧(もうろう)としているようだ。昨日までとはまるで違う。上から飲食物が入っていかないのだから下からも出て来ない。トイレに行くことなどめったに無い。飲み薬(痛み止め)がダメなので、座薬を入れに行くぐらいか。

昨日は来客があった。茨城の叔母がいらした。大変有難いのだが、日に日に体力が減り続けている親父にとって「お見舞い」はもう嬉しいことではない。しかも突然いらしては尚更。自宅であろうと、来客があるだけで相当消耗する。昨日はちょっと参った。親父もぐったりしていた。
本日も違う方が来たいと言ってくれたが、さすがに断ったようだ。
家族としてもお気持ちは本当に有難いのだが、お見舞いに来てくださるのは微妙な所だ。
自分も今まで深く考えたことが無かったが、相手(病人なり怪我人)そして家族の気持ちを大切にしなければと感じる。
病気であれケガであれ、治る見込みがあり、かつ回復途上、あるいはほぼ回復しているのに病院にいる場合はおそらく良いでしょう。健康な人にとっては入院はヒマだ。そして家族や友人がいないことは淋しいだろう。
来てくださるのが、あと2週間、いや1週間前だったらまだ体力もあり、親父も嬉しかったかも知れない。

親父は、衰え、痩せ細っていくみじめな自分を人に見てもらいたく無いのだ。
「葬式」ではなく「お別れ会」と称して式を省きたいのは、家族にも友人の皆さんにもあまり悲しんで欲しくないのだと思う。
本当は今オレが書いてるこんな手記だって書いて欲しくないかも知れない。でもオレは書くよ。これは自分の手記でもあるし。

色々な方が一目お会いしたいと言ってくださるのは嬉しいことだが、もうほぼ全ての面会をお断りをせざるを得ない。
安らかにさせてあげてくださいとお願いするばかり。
この先、電話も制限させていただく時期が近いと思う。おとといぐらいまでは電話は平気だったが、今日は電話もつらそうだ。意識がはっきりしないのだから当然か。

半年ほど前に、両親共に耳が少し遠くなってきたので、玄関のインターホンの音を少し大きくしたのだった。それを今日は音量を大幅に下げた。
親父はちょっとした音でビックリするようになってきている。テレビの音もうるさいようで今日はかなり下げてある。

親父は愛煙家だ。今は食事もしないので、余計口淋しいだろう。今も吸っている。
ただ昨日あたりから、うとうとしていることが多くなっているので、ちょっと危ない。オレかお袋がいるから良いが、火事はゴメンだ。

ちなみに家族としては、死期が毎日近付いてきている親父と一緒にいると、本当に悲しくなってくる時がある。気が滅入り過ぎる時がある。1日中一緒にいるお袋は尚更だと思う。
出かけて家に帰ってくる度に状態が必ず悪化している。本当に刻一刻と。
一緒にいたくないとかそんなじゃない。なるべく一緒にいたい。
でも、家族も息抜きが必要なんだなと痛感する。
お袋は今でも、毎日夕方には買い物に出かけて、色々見てきている。お袋なりに息抜きをしているのだと思う。オレもどうしても泣けてくる時は出かけてる。時には二人とも違う部屋に行って鼻をかむ。親父には見せないようにね。
そしてお互いそっとしておいてあげるのがマナーかな。(笑)
だからオレが自分の部屋で鼻かんでる時に「ヨーグルト食べるかい?」とか声かけるのやめてくれ、お袋。(笑)頼むからほっとけ。(笑)

おそらく親父も本当は一人の時間が欲しいに違いないと思う。

ニューヨークにいる姉夫婦は親父の病状を知り、当初6月末来日だった予定を更に早めて6/15に東京に来る事になった。6月末でもかなり頑張って早く来る日程だった。何せ子供4人の総勢6人の家族なので色々大変だと思う。学校もあるし。
早く姉夫婦と孫に会えるといいなぁ、親父。
頑張らなくても良いからさ。早く会えると良いなぁ。(親父は今「頑張れ」と言われるのを何よりも嫌っている。治る、治す可能性すらない状態では頑張りようがないわな。)

19時過ぎ、少し牛乳を飲み、豆腐をひとかけら食べた。塩分の補給も足りていないだろう。醤油も最近好物だ。おいしい、おいしいとなめていた。胃ガンのくそったれ、少しは消化して、腸まで食物を通しやがれ。
23時、ちょっと戻ってしまった模様。珍しく食物が腹の中で納まったかと思っていたが残念。
でもすっきりしているようだ。ちびちび牛乳をやっている。遠目に見ると酒をちびちびやっているように見える。

2月に、体調が悪いとは言え自分で歩いて救急車に乗り、その後も少ないながらも外食する事も出来たのに、わずか3ヶ月でここまで人体を蝕むこの脅威。巨大化した癌のスピードは恐るべし。
先日ニュースか何かで「癌細胞は1mmから2mmのサイズに成長するのに10年、1cmから2cmに成長するのに1年ほど?(かなり記憶が怪しい)」とか言っていたので、ググってみた。
国立がんセンターは見つかったが、前述のような具体的ながん進行のスピードについては書いていなかった。まぁ個人差も相当あることだとは思う。
「はじめは30〜60ミクロンの大きさから出発し、年単位の時間がかかって5mm程度の大きさになるころから発見可能になります。」とのこと。
オレも年に1回は定期検診を受けるようにします、ハイ。もう健康診断など十数年してないなぁ…。

他にも色々と興味深い事が書いてあった。

◆日本人の死因のトップは「がん」。
現在は男性については「肺がん」がトップだが、男女とも長い間「胃がん」がトップだった。女性は今でも「胃がん」がトップ。
◆アメリカも20世紀初頭は「胃がん」がトップだった。
しかし次第に減少し、今では珍しいガンになった。
◆日本も現在では「胃がん」は減少傾向にある。
◆アメリカでは冷蔵庫の普及と共に減少しており、食糧の保存方法が変わってきたため減少してきているとの見方が強い。
◆「胃がん」は「塩分」と関係が深いようだ。
冷蔵庫普及以前は「塩漬け保存」が多く、塩分の摂取量が多かった。それが冷蔵庫の普及により「塩漬け」が減ってきた事が胃がん減少と関係があると見られている。
日本では冷蔵庫が普及しても、漬け物などの「塩辛い」食習慣から、あまり「胃がん」の減少が速くないと言う事か?

なるほど。
理由や原因は特定出来ないが、親父はまぎれもない胃がんである。
余談だが、オレもやはり「胃がん」が自分への一番の刺客だと思っている。事故とは抜きで。
親父のお袋さんが胃がんで73才で亡くなり(親父も現在73才)、親父もこれで2回目であり、T叔母さんも一度手術されているそうで、他にも兄弟の方はなってる人がいたように聞いている。これは胃がんになりやすい「家系」だと考えて当然でしょう。

今日親父が書いていた言葉を思い出した。
『世の中には色々な病気があって、全てに注意するのは不可能だし意味がない。他にも事故にあって死亡する事もある。この歳だから色々な覚悟はしていたつもりだ。それでも「もう1回胃がんになる」というのは不意をつかれた感じだ。まさしく「やられた」。』