›June 06, 2004

2004.6.6 (日)

カテゴリー: 2004年 / 2 コメント: 投稿する / 見る

9:00 am頃から16:00 頃までお袋と交代して休ませてもらった。疲れはもう感じない。

午前中は看護婦。午後には古い友人の方がお見えになっていた。
朝オレが眠る前は、違う友人の名前を出し、「お別れの電話をしようか。」と言っていた。だがまだ深夜に近い早朝だったので、今は少し迷惑だと思うとお袋が説明したら断念していた。

オレが起きてから見た親父は、今朝の親父とさらに変わっていた。要求・要望は全く影をひそめて非常に静かな面持ち。来客後の姿だった。
手元はもう相当におぼつかない。ティッシュを2枚手渡しただけで「お前は気が利くねぇ。」などという。
写真をうっとりと見つめていた。オレら兄弟3人と孫5人が写っている写真だ。(現在は孫は6人いる)数年前の写真だが、うっとりと見つめて「あいつ(6/15東京着の姉)は間に合わないかもなぁ。」とぼそっと言う。オレは「まだ6月6日だものね。」としか言えなかった。今さら気休めなど言う気がわかない。今朝の時点でも、それ以前から、親父は自分の体が分かっていたのだ。今朝電話しようとしていた友人に、今の親父はもう電話すら出来ない。
6月15日など遠すぎる。

起きて5分でオレはウルウルしてしまった。
今日はニュースで窪塚洋介さんが飛び下りたと言う。今朝はレーガン元合衆国大統領が亡くなったと言う。

19:00
親父は横になりうつらうつらしている。さっきは腕を上げるのももう非常につらそうだった。見ていた写真も落としてしまう。
それでも近所に住む孫が来てくれたら、何とか起き上がり、休憩を何度もはさみつつ長い時間をかけて「最後のおこづかい」を自分の手から孫たちに渡した。死力を振り絞っているその姿にオレは感動した。孫が帰る際「立ち上がりたい」と言う。抱きかかえながら「無理だよ、父さん」と言うと「そうか。」とあきらめた。もう頑張らなくて良いよ。
今も顔や額に汗がうかんでいる。つらいのか。暑いのか。こんなに体中の水分という水分を失ってなお、汗をかいている。
おとといの事、親父は一緒に風呂に入る際、「何だかカラッカラに渇いて枯れていく感じだな。ジュクジュク病気で死ぬよりこの方がキレイで良いかもな。」と言っていた。今から比べるとまだ元気があった。

昨日気がついたが、親父は意識を含め全てが弱まっていってる中、一つだけより強固に命をつないでいるものに気付いた。

心臓だ。
心臓が、強く激しく鼓動している。残りわずかな血液でわずかな栄養を体中に必死に駆け巡らせている。体が振動するぐらい強く。親父の最後の生命線。

23:00
お袋は明日のため、眠ってもらう。お休み、母さん。
夕方孫が来て以降、しっかりとは目を覚ましていない。呼んだり触れたりすると反応するが、ほぼ昏睡状態なのだろうか。汗をしっとりと額と顔にかき、苦しげな表情のまま。激しい鼓動と不規則な呼吸。
しかし額を拭くと、目を開け、少し手を上げた。
時おり、腕がビクッと跳ねたり、ピクピクと指が動く。
最後に言葉を発したのは孫が来た時(17:00頃)と、その後、お袋の言葉に「うん」と言い、オレに「起こして」と言った時のみ。(21:00頃)この時は半ば起こしてしまったような感じだが。その後すぐ横になった。

21時〜22時頃、お袋と色々話をした。
お互い時間の感覚が狂っているようだ。お互いつい先日の事が何ヶ月も前の事のように感じている。
この2週間弱のことを自分なりに整理してみる。

徐々に進行していたが、5月下旬、体調が目に見えて悪くなってきた。そして月、水、金と看護婦が訪れ、火曜には医者が訪れ、土日は執筆の会議に友人の方々に来ていただいて、過密スケジュールが始まった。
親父の空いてる日は木曜日だけとなっていた。
・5月26日(水)(忘れもしない)
親父が「透、明日(5/27)か来週の木曜日(6/3)に千葉県佐倉市にある歴史民俗博物館に行ってみたいんだが、運転していってくれるか?」と聞いてきた。オレは大丈夫だったのだが、5/27(木)は父の友人がいらっしゃる日だったのを思い出し、やむなく6/3(木)に是非行こうと決まった。
・5月31日(月)
一緒に諸々の用事で区役所に行く。区役所内では車椅子を借りた。帰りにお気に入りのコーヒー屋「ドトール」に寄る。随分距離があるのに「大丈夫」と言って歩いていった。既に歩行がつらくなり始めていたので、家族の方が心配だった。この頃バリバリ執筆していた親父だったので、外出が少し楽しかったかも知れない。
・6月3日(木)
数歩以上歩くのが困難になった。前日の頑張りがたたったのか、朝から体調が格段に悪くなった。
歴史民俗博物館、断念。
夕方、体調が少し良くなり、葛西臨海公園に車椅子で行く。大観覧車に乗った。
これが最後の外出。
・6月4日(金)
昨日の散歩が楽しかったようで、朝、今日は上野公園に行きたいと言う。車椅子で国立博物館に入ってみたいと言う。しばらくぶりだと言っていた。
午後、体調は再び急降下。立ち上がる事が困難になった。
上野公園、断念。
・6月5日(土)
午前中にはパソコンに向かっていたが、午後には全くキーボードが打てなくなる。パソコンに最後に触ったのは、この日の午前中まで。
意識の低下も著しくなってきた。
・6月6日(日)
一晩中苦痛で眠れていなかった。
午前4時、おそらく最後の風呂に入る。正確にはシャワーだけで、一緒に体を洗った。
前日まで、苦痛緩和のため1日に3〜4回も入っていた風呂だった。この時は意識も比較的はっきりしていた。
風呂に入る前に裸になった時、全身鏡で自分の体を見ると言い張る。隅々まで自分で見る。写真を撮れと言い張る。
自力で立ったのはこの時が最後。
午前5時、横になる。

書いてて切ないし、何回も言うようだが、この進行の早さ。

お袋が今日話してくれた。
「佐倉の博物館に行きたいという事は、今年病院に手術前の入院中にも言っていた。」と教えてくれた。
早くオレにも言ってくれよ…。
「まだ元気が少しでもあった先週に。まだ看護婦の来訪などあまり必要としていなかった先週、来訪を断って行けば良かった。」と後悔しきり。

悔しい。


現在、6/7(月)午前0:16。
生きている。親父は生きている。
親父の嫌いなレーガン大統領とは同じ命日にはならなくて良かったなぁ。
つらそうな親父を見てると、起こしたくないんだが、もう返事をする事は無いのかな。

0:30
「イチチチチ」と一瞬目を覚ます。