›June 05, 2004

2004.6.5 (土)

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6/6 (日) 5:00am。
今日も怒濤のような1日だった。ようやくオレも少し落ち着く。ノンストップ労働の休憩。
「常にスタンバイの状態」というのは16時間も持たないねぇ。ちょっと反省。

6/5 (土)
午前5:00頃、起きてきたお袋と交代してオレが寝た後、すでに起きていた親父は2度風呂に入ったそうだ。6〜7時頃と10時頃だったような。
15時、NさんとOさんがいらして「編集会議」をする。意識があまりはっきりしない。
話すのも非常に大変そうになってきた。
戻す回数はとても増えて、ほぼ常に戻している。そして朝は量が多かったようだが、昼以後はずいぶん量が減ってきた。現在、6/6午前3:00スプーン一杯ほど。今日は透明無色。医者が言っていた通りだそうだ。無色透明のと黒いのとがこれから交互に来るそうである。

17時頃から眠る。かなり深い眠り。19:30頃目を覚ます。その後、うつらうつら状態が続く。21時頃少しすいかと氷をひとかけら食べて、戻す。
23時頃お袋眠る。うつらうつら眠っているがかなり苦しいようで、30分置きに苦痛で目を覚ます。背骨が痛いと言う。楽な姿勢を探しては少し眠る。

起きてる間は要望がノンストップなので、大変なのである。オレは夜中じゅう起きて看護し、朝、お袋と交代して眠る。お袋が一人の間がかわいそうなのだ。親父は我慢が出来ないので、看護している側は大変である。

6/6 (日) 4:00am。
苦痛がひどいようで、すぐ起きてしまう。夢を見ていたそうで、ジャン・レノが(おそらく「レオン」の風貌のまま)親父をいじめるのだそうだ。背骨が痛いと言う。
オレの提案で親父は風呂ではなく、シャワーを浴び、久しぶりに体を洗う。親父の体を洗ったのは子供の頃以来だろうか。その後しばらく起きていたが、横になって眠った。

最近いつもの風呂である。が今回は自分で立っている事は出来なくなった。服を脱がせ風呂場まで行くと、まずする事があると言う。体重を計るのだ。
体重39kg。
毎日きっかり1kgずつ落ちていっている。飲まず食わずなのだから当然だろうか。
そして今度は全身鏡で自分の体を見ると言う。玄関まで連れていき、手鏡を渡すと背中まで写してじっくりと眺めている。その間もオレは体を支えている。納得したようだが何を思っていたのか。
どうしても写真を撮れというので、撮る。
この時が最後、一人で立っている事が出来なくなった。今日(6/5)午前中まではパソコンをいじっていたが、午後にはキーボードが打てなくなった。それ以降パソコンは触っていない。
手元がかなりおぼつかなくなった。握力もかなり低下した。話すのもひそひそ程度。6/5夕方以降、ベッドを降りたのはシャワーの時と、その後30分ほどだけ。
毎分毎分、体力が低下していく。それでも眠った後はかなり元気になる。寝てる・起きてるの周期がとても短くなっている。寝ているのは今日までで長くて数時間、それより少し短い間起きているだろうか。

今日はオレも体調が良くない。というか恐ろしく自分が老けたような気がする。少し頭痛もする。
見ている親父の毎日の衰え方が、健康な50代の人の10年ずつぐらいの衰え方に近いだろうか。食べてない上に体内がどんどん侵食されているのだから当然だが、こないだ外を歩いていたのが、おとといは車椅子になり、昨日は外にも出られなくなり、今朝キーボードをカチャカチャやっていたのが、午後には手が不自由になってしまう。
そんな親父を見ていて自分も衰えていってるような錯角に陥る。
時間の感覚も今日は良く分からなくなった。昨日あった事が、まるで一週間前のようで、おとといあった出来事が、一ヶ月前の出来事のように感じた。
思考も混乱していて、一つの事に集中出来なかった。常に親父が気になって、全く集中出来ない。食事までそうなってしまった。
今はずいぶん戻ってきた(気がする)。
ちょっと腰も痛い。お袋が起きてきて、エンジンかかってきたら少し休ませてもらおう。

6:00 am。
親父は少し眠って、起きて少し戻した。先ほど少し飲んだお茶の色だった。
ベッドを色々調節して(膝の高さ、頭の高さ)また眠りにつく。


1回のエントリ(投稿)にまとめて書いていたこの日記を、一日ずつに分けてエントリし直した。目に入った所だけ軽く読む。
親父の手術が4/12(月)、退院したのが4/20(火)。何か遠い昔のように感じてしまっていたが、わずか一ヶ月半前の事だった。オレは疲れてるのかな。でも緊張しているのか、だるいのだが眠くない。動きたくないが、頭は色々考えている。

昨晩(6/5)親父が眠っている間に、お袋と話していて驚いた事が一つ。
お袋によれば、医者は「おそらくあと4ヶ月程度。短ければ2ヶ月ほど。」と言っていたのだそうだ。
これは知らなかった。そして改めてショックだ。