›June 04, 2004

2004.6.4 (金)

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今日も癌細胞は猛威をふるっている。定期的に黒褐色の液体を嘔吐する。時間的には数時間おきぐらいか。数日前「オレの小さな胃袋にこんなに物が入っていたのかと思うほどの量だ。」と言っていた。食べたものが全て出ている時期はとっくに過ぎたのだろう。今はおそらく血液、消化液を戻している。
体の中ではものすごい戦いが繰り広げられているのだと思う。増殖を続ける癌細胞、出血する臓器を止血しようとする血小板、胃の中の血液を消化しようと消化液を出す胃、肝臓、その他。圧倒的に数が少ないだろうが、必死に癌細胞を攻撃するNK細胞、そしてそれらの残骸。
その全てが空腹であるはずの小さな胃袋を満たし、溢れてくる。
そしてコントロールの効かなくなった体と親父の頭脳が鬩ぎ(せめぎ)あう。
癌に関わらず、これが闘病というものの実態である。
闘病は家族にも及ぶ。今の親父のように「自宅で」天に昇ろうという場合は尚更だと思う。
親父が盛大に洗面器に戻している間、オレとお袋は、結果的に変わりばんこに飯を食う。
とてもじゃないがオレも戻しそうだったけど、うまく収まってくれた。だがはっきり言って飯がまずい。どんな味だったか覚えてない。しかもお袋はカレーライス食べてた。(笑)

これは戦いなのだね。見えざる物との戦いだ。


がん関係リンク集:

国立がんセンターHP

がんはどこまで治るか?

癌と免疫

「免疫」のメカニズム

もし癌になってしまったら

それにしても、今日の弱り方も恐ろしいスピードであった。本日の体重41kg。
昨日の晩は良く眠れたようで、午前中は体調が良さそうだった。そして昨日の散歩が久しぶりの外出で(と言っても数日前の話だが)、とても喜んでいた。
今日も楽しみにしており、午後、上野公園に行きたいと言っていた。国立博物館を見て回りたいと。
だが、昼に大量に嘔吐。
その後、少し眠る。15:00頃、起きて風呂に入る。以前書いたように血行が良くなり麻薬(鎮痛剤)が体を巡り、とても楽になるのだ。オレは午前中外出していたので気がつかなかったが、これが本日2回目の風呂。親父は「今日の上野は中止だな。ちょっと無理だ。コロコロ変わってすまない。」と。 すまなくなんかないんだよ。
そして一服。Peace Lightを愛煙していたが、1ミリのタバコは何か無いかと言う。最近はMild Sevenも1ミリがあると言うと、それを吸ってみると。買いに走る。一服後、再び、パソコンでの執筆に励むが、最後に書いていた原稿が見つからなくなった。オレも探したが、ファイル名も分からず、どうにも見つからない。意識も朦朧としているようだが、何とか踏み止まっている感じだ。
その後、居間の電灯を取り替えたいと言い出した。22年使っているが、昨日とうとう「ヒモ」が切れて、中途半端な明るさで調節出来なくなっていた。暗いのがどうにも滅入るし、ノートパソコンの画面が見づらいと言う。にわかには受け入れられなかったが、急遽電気屋さんに来てもらって、カタログ拝見。明日の午後、交換を快諾してくれた。

2004.6.13(日)追記:
おそらくこの頃から、視力も弱くなってきていたのだと思う。パソコンの小さな画面がどうにも見づらくなってきていたのだろう。老眼鏡を変えてみたりもしていた。

余談だが、ここ1ヶ月、親父と運命を共にしているのか、家の家電製品が次々と壊れた。
まず、テレビ。これはもう数年前から壊れていたのだが、だましだまし使ってきて、2週間ほど前にとうとうご臨終。親父は野球が大好きでメジャーリーグをハイビジョンで見れるということで、念願の?ハイビジョンデビュー。その画質の素晴らしさには親父も感動していた。「芝生の1本1本が見える!」この時は親父も一緒にお店まで見に行けたのだった。ただそこは末期ガン患者、すぐ腰に鈍痛を訴えたので、即購入し、帰宅した。
個人的にはハイビジョンテレビは、まるでパソコンのようだ、と最近のテレビの最新テクノロジーに驚く。
そしてFaxの不調。この時も親父は一緒に見に行ったが、体調のため即購入。今のFaxは「普通紙印刷」であるという事を知った。ずーっと我が家は「感熱紙」だったのだ。今度のはしかもEメールまで出来る。やらねーよ、なんて悪態をついてみる。
そして居間の電灯の買い替え。今日聞いたら今は「グローランプ」など使わないのだそうだ。明るさも桁違いに明るいのだそうだ。何だか自分もすっかり老人になった気分。へこみ。

夕方、お袋は再び夕食の買い出しに出かけた。書きかけのファイルを見つけだした親父は、しばらくパソコンに向かい、思考しながら書いていたが、突然立ち上がろうとしたので、あわてて補助をする。今朝は自分で立ち上がれた体は、もう自分では立ち上がれなかった。

どこに行きたいかというと「風呂」と言う。親父は苦痛がつらいのだ。洗面所まで担いでいき、とりあえず座らせる。急いでお湯を組む。(40℃という親父の指定がある。高すぎるとのぼせるし、ぬるいと血行が良くならない。お湯は捨てずにとってあるので、半分捨てた後、熱湯を注いで熱くする。「おいたき」が出来ない我が家は今では古い家屋なのだろう。)お湯はすぐに汲めるので、その間に服を脱がせる。ついさっきまで風呂場で自分で衣服を脱ぎ、自分で入っていたのに、このスピードで自分の主(あるじ)の体を蝕んでいくのか、ガン細胞よ。
膝を抱えた姿勢でしばらくつかって、楽になった所で、体をふいて服を着せる。つい3日前までは息子に裸をさらすのを恥じていた父も、今はなすがまま。静かに「ありがとう。」と言ってくれた。このぐらいやるさ。

その後、ヤクルトー巨人戦を見ながら、深い眠りに付いた。
そして、ガン告知、そして自宅療養開始以来、初めてお袋と深く語った。親父の最近の病状のスピード、そして最期の覚悟の必要性について語った。親父が起きてる間にはとても話せないよ。
せっかく今日はヤクルトが競り勝ったのになあ。

これまでの日記を1つのエントリ(1ページ)で書いていたのだが、容量の限界になったようで、この後が切れてしまった。
最終的に朝の5:00頃まで看護していて、色々書いたのだが、思い出すのももうおっくうだしあまり意味も無い気がするので、そのまま。