›July 07, 2004

一ヶ月

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今日は7月7日、七夕です。
早いもので、親父が逝って一ヶ月が経ってしまいました。
この一ヶ月もとても目まぐるしいものだったけれど、どちらかと言えば、空虚な忙しさだと思わざるを得ない日々でした。
様々な方からお悔やみのお手紙をいただき、父は、そして家族も、とても幸せだと感じています。皆様の父との生前のご交誼を心から感謝しています。家族としても、とても心癒される思いがします。
それでもなお、やはり空白感があるのも事実です。「いつかは逝ってしまう」そう分かっていても、家族を失うことはつらいものです。母はなおさらでしょう。

親父は死ぬ前に猛烈に執筆していました。そして「春の岬」のあとがき以外にも、様々なことを書き残してくれました。一ヶ月程度でこんなに書いたのか?と思うほどの量でした。
どうもその親父の文章によれば、お袋とは幼なじみであり、いつから付き合いだしたのかは不明なほどだそうです。最低でも50年以上、おそらく60年以上の付き合いなのでしょう。そのぐらいの付き合いにもなると、両親とよりも長く一緒にいるわけで、つらくて当たり前の離別でしょう。
落ち着いたら、今度お袋にも聞いてみようかと思います。

親父の書いた文章はまた後ほど「そのまま」の状態で載せようと思っています。戦前、戦中、戦後を生きた人間でした。そして世界各国(主に途上国ですが)を訪れ、住んできたものの言葉としても載せたいかなと思います。

当然の事なのだけど、世の中の「登録」から親父は急速に抹消されていっています。
死後間もなく届いた、参議院議員選挙の投票入場券にも既に、親父の名前はありませんでした。もうこの世にいないので当然の事なのだけど、家族としては「急速に忘れ去られ、生きた証さえ消し去られていく」ような錯覚に陥ります。単なる「遺族のわがまま」ですね。

6/16〜6/27にはニューヨークに住む姉一家が東京に来てくれていました。
残念なことに親父の最後には間に合わなかったけれど、久しぶりに会えて、元気そうな姿を見れて本当に嬉かった。幼い子供達4人を連れての長旅は大変苦労があったはずなのに、どこにもそのような素振りは微塵も見せませんでした。最初はとても人見知りで、ボクなど他人と感じていた子供達も、最後の夜は痛いほど(一人の子がやたらぶつのだ)打ち解けてくれて嬉しかった。
彼らが東京での2週間弱が楽しく有意義であったことを願っています。
本来は親父が、自らニューヨークにおもむいて、最後のお別れを言いたかったくらい、とても会いたがっていた家族でした。(幼い子供4人を連れて旅をするのは大変なので、自分から赴こうとしていました。)

手術後、親父が希望していたスペイン・バルセロナへの旅行は、結局叶いませんでした。親父は美術も好きでした。おそらく写真でしか見たことのなかった、「アントニオ・ガウディ」の建築を一目見たかったのだと思います。とりわけ「サグラダ・ファミリアその2」は是非この目で見て、登りたかったことでしょう。残念です。
バルセロナは叶いませんでしたが、親父は今年2月にお袋と沖縄に行っていました。ボクの中では時期が不明でしたが、どうやら診断の結果ガンと分かった後に「死んでも行くぞ!」と母と共に沖縄に行った模様です。その時は不覚ながらボクは診断結果がガンとは知りませんでした。
新しく出来た沖縄の巨大水族館<沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館>はとても楽しかったようで、帰ってきてからも何度も「ジンベエザメ(ジンベイザメ)の口は餌(プランクトン?)を食べる時、四角くてこんなに大きいんだぞ。」と手を広げて言っていました。本当に楽しかったのでしょう。
親父が大切にとっておいたこの水族館の入場券を探しているのですが、看護・介護のどさくさで、捨ててしまったかどこかに行ってしまったようです。ジンベエザメの絵が描いてあって、かわいらしいチケットだったのですが、これまた残念です。
必ずボクも訪れてみたい場所の一つです。